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連載コラム Vol.3|突撃洋服店 安田美仁子が見る「ファッションの移ろい」

『突撃洋服店』のオーナーであり、古着表現作家である私・安田美仁子が、ファッションと共に歩んできた約40年を3つの時代に分け、当時の流行と私自身のスタイルについて綴るコラム。前回は『突撃洋服店』をオープンした1980年代のお話でした。最終回となる今回は古着バブル&セレクトショップブームの1990年代、ファストファッションとラグジュアリーブランドが流行した2000年代、そしてこれからの時代についてお話したいと思います。

90年代初期:「早く作って早く売る」の始まり

90年代はファッション業界にとっても、私にとっても大きな葛藤を抱えた時代だったと思います。90年代初期に、今の大手アパレルブランドが行っているような製造から販売までのすべてを自分達で行う製造小売業が流行りました。PARCOやラフォーレ原宿にそんなお店が沢山増えて、次第に“古着っぽいもの”を作り始めたんです。わかる人が見たら「これって古着をコピーしてるよね?」という感じで、素材は90年代らしいポリエステルだけど、デザインはショート丈の70年代風なので当時としては立派な古着なんです。この頃から古着ブームが始まり、『突撃洋服店』も商業施設に出店するようになりました。同じ商業施設に入っている大手アパレルブランドが“古着っぽいもの”を作り始めたこともあり、「今は70年代風が流行ってるんだな」とか「60年代風のものが並び出したな」とか、気付きが多かったですね。製造から販売までのスパンを短くする、早く作って早く売るという仕組みが出来上がり、安いところに縫製を頼むのが当たり前になったのもこの頃です。90年代は、知り合いのパタンナーやデザイナーから話を聞いていても辛そうでしたね。売れるものの真似をさせられたり、速度性ばかりを求められたり…。80年代はクリエイティビティが求められる時代でしたから、初めてそういう時代を迎えてしまったというショックが大きかったのだと思います。

90年代中期:被災をきっかけに東京へ

80年代は経済バブルの時代でしたが、90年代は古着バブルの時代でした。例えば仙台の行ったこともないような商業施設から「一区画用意するから、服を送って欲しい」と言われてアイテムを送ったら、100万円くらいぽーん!と売れてしまうような感じ。まだ古着が物珍しかったこともありますが、当時のDCブランドブームで商業施設自体が急増。DCブランドブームの失速によって空きテナントが大量に発生し、そこを古着屋が埋めていったんです。私もこの頃は何店舗も抱えていたので、今のように1枚1枚セレクトして輸入するのではなく、大量の服をコンテナに積んで輸入することもありました。「経営していくためにはこういうこともしなければらないんだ」と自分に言い聞かせていましたね。実際に、阪神・淡路大震災の時には色々なところに出店していたことでなんとか生き延びました。少数精鋭の選び抜くスタイルに誇りを持っていますが、裏を返せば今私が倒れてしまえば終わり。震災の後に取材を受けた記事を見返してみると、「販売拠点を全国に持たないといけませんね」と答えています。

上段左:震災直前に金沢に住む両親を訪れた際の服装。上段右:生後4ヵ月の息子と共に。被災する2日前の写真です。下段:阪神・淡路大震災から逃げのび助かった100人がその被災体験を語った「大震災100人の瞬間」(朝日新聞出版)。

阪神・淡路大震災が起きた時、私は神戸市の須磨区に住んでいて、三宮エリアに3つのお店を構えていました。出産したばかりで子どもはまだ4ヵ月。幸いにも家が崩れたり誰か亡くなったりということはなかったんですが、家が少し傾いてしまってもう住めない、という状況に。でも周りはもっと大変な状況でした。当時は携帯電話もなく、店舗のスタッフたちは親戚のところに避難していたりしたので、全員と連絡がとれたのは被災してから2週間後のことでした。お店も被災して何もできなくなったので、「東京でお店をやろう」と。1995年の1月17日に被災し、2月1日には上京しました。すごいスピードですよね。火事場の馬鹿力と言いますか…やるしかなかったんです。最初は大阪の豊中でお店を営んでいる夫の実家に避難していたのですが、当時金沢に住んでいた私の両親に子供を預けて私は東京へ。夫は『突撃洋服店』のお店の卸売りをしていたので、別行動をしながらそれぞれお店を立て直そうと奔走しました。その頃は印鑑などの貴重品だけ身に着けて、金沢、須磨、東京という風に1週間で各地を転々とする生活をしていました。

90年代後期:コギャルとファッションの聖地・渋谷

1990年代後半の東京は空前のセレクトショップブーム。『卓矢エンジェル』や『ビューティービースト』などのちょっとおもしろいセレクトショップが登場しました。90年代前半は業界にとっても私自身にとっても葛藤の多い時代でしたから、独自の世界観を持ったショップが出てくるのは良い流れだなあと感じていましたね。そしてコギャルブーム到来。古着界隈にはあまり縁のなさそうなブームですが、2006~2007年ぐらいになると古着がかなり安くなって、ギャルが古着を着るようになったんです。突撃洋服店にもギャル雑誌からの取材依頼がぐっと増えました。90年代後半の渋谷はすごく面白くて、ギャルの聖地109側と、セレクトショップが集まる「ファッションの聖地」と呼ばれた神南エリア。どちらもほど近くに位置しながら、ジャンルの全く違う人たちが生息していたんですよ。

【1990年代後期に流行したセレクトショップ】

・卓矢エンジェル
デザイナー沢田卓矢によるサイバーや和、ゴス、ロリータのテイストを独自の世界観に落とし込んだブランド。卓矢エンジェルを着ている人は「エンジェラー」と呼ばれる。

・ビューティービースト
デザイナー山下隆生によるブランド。東京やパリでコレクションを発表し、モードカジュアルなテイストで熱狂的なファンを抱える。2020年に20年ぶりに復活。

左上:アメリカのH&Mで購入した赤いスキニーパンツを履いて、当時中学生の息子と。右下:『ヴィアヴァスストップヴィンテージ』の店内の様子。

2000年代初期:ファストファッションとラグジュアリーブランド

2000年代はユニクロを筆頭に本格的なファストファッションブームが到来します。当時からジャンルにこだわりがなかったので、アメリカのH&Mで買った綺麗な赤いスキニーパンツを古着のアート系のTシャツに合わせて楽しむこともありました。元々白いボディコンのワンピースを着ながら働くこともあるくらいで、セレクトしている服と私の着ている服が全然違うのですごく不思議がられていました(笑)。今でも物理的なスタイルの変化というのはありますが、ファッションや自己表現についての考え方はずっと変わりません。ファストファッションであっても、独自のセンスを感じられるものであれば迷わずコーディネートに取り入れます。ただ、便利さだけを求めている服は着ようとは思えない。デザインよりも便利さを求めると、それはもうファッションではなく日用品になってしまうし、感性も退化してしまうような気がするんです。

ファストファッションが流行している一方で、高級なラグジュアリーブランドもブームになりました。2000年に西武渋谷店の上にモヴィーダ館がオープンし、シード館がヴィータ館にリニューアルした時に『ヴィアヴァスストップ』、『ドックスドーラ』、『突撃洋服店』の3店で、『ヴィアヴァスストップヴィンテージ』という百貨店では初めてのヴィンテージばっかりのフロアをオープンしたんです。ラグジュアリーブランドのヴィンテージに世界が初めて注目し始めたタイミングで、芸能界の人や、当時学生さんだった今活躍しているスタイリストさんたちが沢山来てくれていました。すごく画期的な売り場で、私も接客をしたり、フロアの並び替えをしたり、色々な経験をさせていただきました。たとえば『Emilio Pucci 』のタグがついていない、一見するとブランド物だとわからないような高級なヴィンテージを、有名人やファッションのプロ相手に売れるようになったというのは自分にとって大きな自信になりました。キャリアのひとつの転換期にもなりましたね。

正直まだ90年代からの薄利多売に対する葛藤は続いていましたが、2010年代からはこの『ヴィアヴァスストップヴィンテージ』での経験を活かし、自分のお店でもレイアウトやディスプレイなど細部にこだわったりと“魅せる”ことで少しずつその葛藤から抜け出すことができました。そう考えると、葛藤から抜け出せたのはつい最近のことなのかもしれません。

最近の私。ジャンルに捕らわれない自由なスタイルを楽しんでいます。

これからはトレンドではなく感性の時代

以前百貨店でポップアップをした時、『Maison Margiela』を着ているようなモードっぽい子がたまたま『突撃洋服店』を見かけて「こんな古着、見たことない!」と沢山買っていってくれたことがありました。今の若い子は、モードな人はモードなブランドを着て、ガーリーな人はガーリーなブランドを着て…と属性やジャンルが固定されているんですよね。そういう人たちにとって古着はいわゆるストリートで、下北沢にあるような服という「ジャンル」。だから古着を着るという選択肢がそもそもないんです。昔のように色々な服を着て、体験をして、という機会が少なくなっているのを強く感じるようになりました。

今後はDCブランドブームのような大きなトレンドはもう来ないと思っています。大きなトレンドがないからこそ、百貨店に出店するお店側も何を提供していいかわからなくなっているのも事実。冒険して売れないのも怖いですから、若い子たちの動きに後から乗っかっていく流れになってしまいました。作り手が作りたいものを作ること、クリエイティブな人を育てることをどこかで諦めてしまったんです。でも、例えば個人でやっている喫茶店が好きな人ってどの年代にもいるじゃないですか。そういう人たちは、メニューから、定休日、食器、流れる音楽に至るまで全部オーナーの感性で選んだもので作られる空間が好きなんですよね。これからは私もこだわり抜いてセレクトしたアイテムたちを、私の感性を好きだと思ってくれる人たちに届けていけたらいいなと思っています。


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コラム執筆者

古着表現作家|安田 美仁子さん

渋谷生まれ、神戸育ち。横浜在住。

1985年より「突撃洋服店」を開始。

買い付けから店舗のディレクションまで一貫して行う。

2020年4月に神戸店を、2021年4月に渋谷店を終了し、現在はポップアップのみで展開中。

近年は映画やドラマ、アーティストへの衣装提供も行い、

百貨店でのポップアップや様々な場所でのファッションショーなど、

古着を通して新たな価値観や可能性を生み出す展開を行っている。

https://www.instagram.com/totsugekiyofukuten_new/

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