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連載コラム Vol.2|突撃洋服店 安田美仁子が見る「ファッションの移ろい」

『突撃洋服店』のオーナーであり、古着表現作家である私・安田美仁子が、ファッションと共に歩んできた約40年を3つの時代に分け、当時の流行と私自身のスタイルについて綴るコラム。前回は両親の影響を大きく受けた1960~70年代のお話でした。今回は『突撃洋服店』をオープンした1980年代についてお話したいと思います。

左上&左下:19歳。JUNKO SHIMADAのトップスとブレスレットを身に着けて。右上:高校2年生の頃。サーファールックです。

80年代初期:神戸・北野町での転換期

1982年、当時19歳だった私は神戸の北野町という町でアクセサリー販売のバイトをしていました。この頃から『BIGI』のようなDCブランドの名前をちらほら耳にするようになりましたが、”DCブランド御三家”と呼ばれる『ISSEY MIYAKE』、『Yohji Yamamoto』、『COMME des GARCONS』が登場するのはもう少し後のこと。私はまだ70年代の名残りでポロシャツにバギーパンツというようなサーファールック※1が多めでした。でも、働いていた場所が有名建築家が手掛けたコンクリート打ちっぱなしの雰囲気あるビルで、DCブランド※2も沢山入っていたので、少しずつ「格好良いな」と興味を持つように。北野町はそういうシックな雰囲気のある街でしたから、サーファーやニュートラルック※3の人は本当に少数。私も働き始めて1ヵ月経った頃には黒のトップスにハイウエストのテーパードパンツといったスタイルになり、少しふんわりとさせていた髪型もストレートヘアに変わっていきました。世の中のファッショントレンドも大きく変わっていく流れがありましたね。この頃、働いていたアクセサリー屋さんのお向かいに『KENZO』がオープンし、引き抜きのお誘いをいただいて働くことになりました。80年初頭、19~20歳頃は私にとっての大きな転換期でしたね。

左:20〜21歳、『突撃洋服店』を始める少し前にフリマで服を売り始めた頃。右:22歳。『突撃洋服店』の店内でJUNKO SHIMADAのワンピースを着て。ボディコンを着て店内で喫煙している様子は今見るとびっくりですね。笑

80年代中期:バブルの始まり

80年代といえばバブル。バブルが始まった頃には既に『突撃洋服店』をオープンしていて古着業界にいたので、そこまでバブルらしさを感じる機会がありませんでした。ただ、周りには次々に新しいお店がオープンし、中には1日に100万円売り上げるお店もありました。売り上げ競争が苛烈で、そういうところでバブルを感じていたかもしれませんね。あとは、70年代の頃に比べるとディスコの様子が明らかに変わっていったんです。きらびやかな雰囲気になって、女の子の入場料が無料、そしてフードが食べ放題に。女の子たちは色々なお店から無料券をもらえて、もう永遠に無料で遊べるんじゃないかってくらい…(笑)。80年代のディスコは『MEN‘S BIGI』※4のセーターを着た男子もいれば、DCブランドに身を包んだ人、サーファールックなど色々なファッションの人がいました。もちろんボディコン※5も多かったですね。私も赤いタイトなミニスカートにブルーのトップスだったり、ボディラインの出るワンピースを着ていました。もちろんDCブランドを着ることもありましたよ。DCブランドにも種類があって、私は『JUNKO SHIMADA』のレディなルックだったけど、真っ黒な服装の人もいれば、極彩色の人もいました。ファッションがとても自由な時代だったと思います。『突撃洋服店』がオープン当時からボーダレスなセレクトをしているのも、私がボディコンを着たりDCブランドを着たり、古着のオーバーサイズメンズコートを着たりと、色々な服を着ているうちに”ジャンル”というものの不必要さに気付いたからなんです。

80年代後期:DCブランドブームの失速

この頃、「DCっぽくて安いブランド」もどんどん登場しました。私が古着の道に進んだのは「DCブランドのクリエイティビティを古着で表現したい」というポジティブな理由でしたが、裏を返せばDCブランドが商業的になっていく様子に少ししんどさを感じていたというのが本音でもあります。「DCっぽくて安いブランド」が出だしてから、自然と単価が下がり、そこにアメリカンカジュアルなジャンルのものが混ざりはじめて、ファッションの種類が本当に多様になっていきました。それがつまり「DCブランドブームが失速する」ということだったのかもしれません。時代を牽引していたはずのDCブランドブーム。猫も杓子も『MEN‘S BIGI』に並んでいたのが、「これもあるよ、あれもあるよ」と選択肢が広がったんでしょうね。DCブランドが大流行してから、多くの人が「高いものを選ぶ必要がない」と思い始めるまでが随分早かったような気がします。『突撃洋服店』は、同じようにDCブランドの商業化に少し疲れてきた人たちの間で愛されるお店でした。もちろんDCブランドから流れてきた人だけではなく、音楽やアメリカカルチャーなどが好きな人たちによって古着ブームに火が付きました。当時の『突撃洋服店』は私と同世代の若いお客様がメインでした。80年代というのは、古着を「新しい」と思った初めての時代ですから、私の親世代の方が当時着ていた服をもう一度着たいとはならなかったんだと思います。今は古着ブームが何周も回って、本当に幅広い年齢層のお客様がいらっしゃいます。

【1980年代に流行したファッション】
(※1)・サーファールック その名の通り太陽の下が似合うようなアクティブなスタイル。白いパンツにレインボーのTシャツ、南の島を連想させるようなトロピカル柄やサンダル、バギーパンツにミニマムなトップスを合わせるのが定番。
(※2)・DCブランド デザイナーズ&キャラクターズの略とされる国内の高級ファッションブランドの総称。単品大量生産が主流だった1970年代、デザイナーたちがマンションの一室で多品種少量生産の服づくりを始め、次々と新進気鋭のブランドが誕生。
関連記事 DCブランド御三家出身のデザイナーたち ~受け継がれるブランドの精神~【前編】 DCブランド御三家出身のデザイナーたち ~受け継がれるブランドの精神~【後編】 (※3)・ニュートラルック 『ニュー・トラッド』の略で、神戸発祥の華やかなトラッドスタイル。金ボタンのブレザーやポロシャツ、膝下丈のタイトスカートやボックススカートなどの上品なアイテムにブランド物のバッグやアクセサリーで着飾るのが人気のスタイリング。
(※4)・MEN‘S BIGI 「MEN’S BIGI」は「TAKEO KIKUCHI」のデザイナーである菊池武夫とデザイナー稲葉賀惠、大楠裕二らによるメンズブランド。当時のテレビドラマで主人公がアイテムを着用したことで爆発的なブームに。 関連記事 DCブランドの先駆け「MEN’S BIGI」とは? (※5)・ボディコン ボディ・コンシャスの略語で、体に密着する素材を使ったボディ・ラインを強調した服のこと。普段着というよりもディスコなど夜の遊び場で着用されることが多かった。

次回はファッション業界が多くの葛藤を抱えた1990年代~現代までのお話です。お楽しみに!


コラム執筆者

古着表現作家|安田 美仁子さん

渋谷生まれ、神戸育ち。横浜在住。

1985年より「突撃洋服店」を開始。

買い付けから店舗のディレクションまで一貫して行う。

2020年4月に神戸店を、2021年4月に渋谷店を終了し、現在はポップアップのみで展開中。

近年は映画やドラマ、アーティストへの衣装提供も行い、

百貨店でのポップアップや様々な場所でのファッションショーなど、

古着を通して新たな価値観や可能性を生み出す展開を行っている。

https://www.instagram.com/totsugekiyofukuten_new/

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