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“東京ファッションと少し先の未来”アンリアレイジデザイナー森永氏とAECC代表齋藤氏が語る「FASHION CREATIVE 東京会談 Vol.3」レポート【前編】

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2015年12月10日(木)、ファッションクリエイターをサポートするクリーク・アンド・リバー社、クリエイター・エージェンシー主催の対談セミナー「FASHION CREATIVE 東京会談 Vol.3」が開催されました。

今回のゲストは、パリ・コレクションでショーを発表する「ANREALAGE(アンリアレイジ)」のファッションデザイナー森永邦彦さんとヨウジヨーロッパ社長、イッセイミヤケ・ヨーロッパ社社長を歴任してきた「AECC(Asian European Consulting Company)」代表取締役社長の齋藤統さん。テーマは“東京ファッションと少し先の未来”。

錚々たる日本人デザイナーの海外進出をサポートしてきた齋藤さんと、現在パリでコレクションを披露する森永さんによって繰り広げられた、貴重な対談内容を前編・後編に分けてレポートします。

服作りという、永遠に続く挑戦

司会:まずはお二人にそれぞれ自己紹介をお願いできますでしょうか。

森永さん(以下敬称略):アンリアレイジというブランドをやっている森永です。2003年にブランドを立ち上げました。ブランド名は日常(=リアル)、非日常(=アンリアル)と時代(=エイジ)を組み合わせています。東京で10年コレクションを発表し昨年からパリで発表し、新たなスタートを切ったところです。

毎シーズンテーマを変えてものづくりをしていて、今季は「リフレクト」をテーマに、反射を利用した洋服を作りました。直接目で見るとグレーや白の無地ですが、光が当たることによって、カラフルになったり、柄が見えたりします。こうして目で見えているものと、見えていないけれどそこに存在するという洋服の二面性を、日常と非日常に置き換えて、服作りをしました。

齋藤さん(以下敬称略):私はデザイナーをサポートする側にいます。この対談の打ち合わせしている時に驚きましたが、僕が「ヨウジヤマモト」に入った時に森永さんが生まれたという。日本人だけでなく、フランスのデザイナーとも仕事をしてきましたし、デザイナーを売るだけでなく、幅広い活動をさせてもらってきました。

今の時代はヨウジさん、イッセイさん、川久保さんが世界に出られた時のような時代とマーケットが違う。同じ方法でやってもうまくいかない。次の展開をどうするか。私なりに色々と考えている。森永さんのような若いデザイナーさんたちとおつきあいしながら、パリでショーや展示会をするために経済的にどうやっていくのか考えていきたいと思っています。

司会:それでは、ものづくりの考え方、新しい価値の作り方について、作り手の視点でお伺いしたいのですが、アンリアレイジの服作りの源泉とは?なぜ服作りをしなければならないのか、その理由を教えてください。

森永:最初からズバリ深い質問ですね(笑)。

齋藤:裸で歩く人はいないから(笑)。

森永:そうですね(笑)。日本の法律上、洋服を着ないと外にはいけないので、誰もが必ず毎朝何を着るか選択をしています。そんな当たり前すぎて無自覚になってしまいがちな“服を着る”という行為の中には、日常を変える程の力が潜んでいると思っています。僕は自分自身が一着の洋服と出会った事で自分の人生が変わっていきました。洋服ってすごいなって思った瞬間があったんです。それは10代後半でしたが、洋服に魅せられて、洋服をやりたいと思って、洋服からすごい世界が広がっていくんじゃないかと思っていました。

実際に洋服の世界に入ると、現実には厳しい面もかなりあり、ファッションで何をすべきか、何を伝えるべきか見失いそうにもなります。でもあの時感じた気持ちはずっと離したくないなと思いながら、距離をとったり縮めたりしながら服を作っています。

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齋藤:かつて山本耀司さんや様々なデザイナーさんも見ていて思いましたが、洋服を作るというのは、挑戦なんですよね。終わりがないじゃないですか。もうこれでいいやというものもないし、次に次にと多分永遠に自分自身に対する挑戦なんだと思います。

森永:そうですね。やっぱり自分が今ベストだと思う服を作ったとしても、時代が変わってしまえば、価値は変わってしまいます。普遍的で絶対的なものをファッションの世界で掴むことは難しく、だからこそ継続する中で見えてくるものもありますし、とにかくゴールがないですね。それに一年に二回シーズンは回転していくので、振り返る隙なんて与えてもらえない。僕はそのスピード感に憧れてしまっていて、逆にその中でぐるぐる回っていくのが好きなタイプですが。

司会:森永さんはコレクションを行うたびに新しさの提案をされていますよね。そういった新しさの提案の発想の源、その発想のプロセス。その進化についてお聞かせください。

森永:デザイナーとして、デザインされた服を発表するだけだと本質的なファッションを更新できない気がしています。洋服の新しいつくり方を発表したり、新しい素材を発表したり、そうやって道具を変えて、どうものを作っていけばいいかが自分にとってすごく重要で、普段使うはずのミシンを使わないとか、染色の際あえて日に当たる環境でやってみるとか。

新しいファッションはデザインやシルエットだけではありません。もっともっと根本的に今までにない方法で洋服を作ることで新しいものが生まれるんだと思います。ファッションが時代を変えていく瞬間を作ってみたいという気持ちはずっとどこかにあります。

パリで発表することの意義。東京が抱える課題

司会:齋藤さんは実際パリでショーをご覧になられたということで、森永さんのチャレンジについてどう思いますか?パリでの反響は?

齋藤:正直言うと一回目のショーはピンとこなかったというか、僕的にはあんまりだったんですよ。でも二回目はさすがだなと思いました。パリので反応はすごくポジディブでしたよ。

司会:世界のファッションの発信の場、パリコレに挑戦する日本人デザイナーさんはすでに減ってきていると思うんですが、森永さんは果敢に挑戦されています。パリコレに挑戦しようと思ったきっかけ、参加する狙いについてお聞かせ下さい。

森永:僕の世代は上の世代にすごく憧れがある。「コムデギャルソン」、「マルタンマルジェラ」、「アンダーカバー」など、自分もそういう服を見て頑張りたいと思った世代なので、もともと自分がブランドやるからにいつかパリに行きたいという気持ちははずっと持ってきた。

今はインターネットがあって、日本から洋服のルックを送ることはできますが、やはり現地に行って、実際に見てもらった上で評価してもらいたいという思いがある。いつまでも東京だけでやっていてもバイヤーやプレスは来ないので、自分から行こうと思いました。

齋藤:何人かはくるんですけれどね……。東京は展示会の開催時期が遅いんですよね。彼らの持っているバジェットがパリコレで終わってしまうんです。ニューヨークで始まって、ロンドン、ミラノ、そしてパリを周り、まして東京までとなると予算が足りない。実はそのへんの事情があるんです。それに東コレが終わってから一ヶ月くらい展示会やっているというのもバイヤーにとっては負担。どこかでうまく呼び寄せてみせるという方法を作らないといけないかもしれない。

森永:同感です。

齋藤:パリではショーをやりながら展示会も行う。これはニューヨークや他の都市でも同じですね。日本はショーだけで、その後に展示会があるのですよね。パリのバイヤーからもなぜあんなに期間が長いのだとよく聞かれます。

司会:それは東京の課題なのかもしれません。パリでコレクションに実際出てみて日本人のデザイナーとして気づいた点などはありますか?

森永:客観的にパリのコレクションが見られるので、そこの中心で行われていることが、自分には当たり前に思えることがあまりなく、それを逆手に取った表現をしたいと思っています。

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パリコレですごく驚いたのは、世界中から洋服を見るために来ているのに、みんなどちらかというとSNSなど画面を見る事に夢中になっている。フロントローでも大御所のジャーナリストもバイヤーも写真を撮ってアップすることに全力をかけている感じがあって。そういう状況を逆に逆手に取ってショーをやってみようと思いました。

それから価格の面や売りを考えた時、すごい日本人はデメリットが多いと思う。要は値段ですごく高くなってしまうので、日本で僕らがやっていた卸売のやり方とかつくり方とか値段のつけ方で勝負していたら確実に負ける。それはすごく悔しいこと。そういう構造自体を変えようとするアプローチも必要だと感じます。

司会:税金の問題などもありますよね。

齋藤:ヨーロッパはVATが高いですよね。20%ですから。要は100円のものがあったら、15円前後は税金ですから、実際バイヤーさんにとったら85円とかその分がやっと取り分になるわけですから、VATの大きさというのは国によって25%などもありますから、そのへんの違いは大きいと思います。

森永さん:そうですね、大きいと思います。通常に日本で利益として取れる分をそのまま持っていかれるような感じですね。

司会:日本のファッションが世界で勝負するために必要なモノ、コト(コンセプトや戦略)とは?世界でチャレンジできるようなやり方について、明確な考えを持ってやられていることとは?

森永:僕は10年東京でショーをやってきましたが、初めてパリ・コレクションに出た時、一回の15分のショーで自分のブランドが世界からの評価を受けて、もしそのショーが良くなければ、今までやってきたコトとか何も残らなくなるという、そういう一か八かの勝負は避けたいと思っていました。

あくまで一回目のショーは、東京で積み重ねてきた10年間をふまえてのショーがある、ということをしっかりと伝えるべきだと考えました。ですので、レクレルールと話をして、初回はショーと連動する形で10年間の作品の展覧会を開催しました。今までやってきたコンセプトとテクニック、自分たちがどのような世界観を持っているかを伝える場をつくって、ショーの15分だけで評価が下されないような環境を意識的に取り入れたのです。東京で積み重ねてきた世界観の上で、パリでのショーがあるということをしっかりと見せなくてはいけないと思って。初回はショーと同時にきちんと自分たちのブランドと組んでくれるお店、レクレルールさんだったんですけど、話をして、今までやってきた世界と、技術、自分たちの方向性を展示させて欲しいとお願いしました。

ショーと連動する形で展覧会みたいなものをやり、ショーの後にアフターパーティをやって今までのものをやってみせたり、ショーの15分だけで評価が下されないような方法を取り入れたんです。

司会:なるほど。齋藤さん、いかがですか、森永さんのそういった戦略について。

齋藤:私もすごくよかったと思います。先ほど申し上げたように、ショーだけ見ると私は「あれ?」って思ってしまったんですが、レクレルールでのパーティは非常にわかりやすく、森永邦彦という人物、アンリアレイジというブランドがどういうものかというのが、結構はっきりと出ていました。あれを見て評価をした人たちがたくさんいます。

 

後編では、これから世界に挑戦する日本人にファッションとどう向き合うべきかについて、引き続きレポートします。

今回お伺いした主催団体

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