
日本人デザイナーとしていち早くパリに進出し、プレタポルテの旗手として注目を集めた髙田賢三。単身で渡仏して1970年にパリで自らのブランド「KENZO」を立ち上げ、以来、日本人としての感性を駆使した作品を多数発表しました。東洋と西洋が見事に調和した作品は世界から高い評価を受け、ファッション界を代表する日本人デザイナーとして活躍。しかし2020年に惜しまれつつも81歳で逝去しました。髙田賢三の没後初となる大規模個展となる本展は、髙田のファッションの変遷を衣装展示で辿るとともに、幼少期から描いていた絵画やアイデアの源泉となった資料、衣装のデザイン画などを多数紹介。多角的な視点から髙田の人物像を浮かび上がらせ、生涯にわたる創作活動を回顧します。
髙田の人生をタイムラインで辿る
姫路市出身の髙田は1958年に文化服装学院に入学。在学中に第8回装苑賞を受賞し、コシノジュンコや金子功など、のちの日本ファッション界をリードする同期生と共に「花の9期生」と呼ばれていました。渡仏後に自らのブランド「KENZO」を立ち上げ、1999年にブランドを去るまでその人気は衰えることなく、ブランドを離れてからもオリンピック日本選手団公式服装のデザインや舞台衣装などを手掛け精力的にクリエイターとして活躍。本展では幼少期から始まり、東京の文化服装学院で過ごした学生時代、パリに渡ってからの活躍、さらには晩年の活動までを幅広く紹介しています。同時に、髙田の人柄に触れるエピソードやトピックなどを織り交ぜながら、彼の魅力ある人生をタイムラインに沿って見ることができます。

オールド・ケンゾーの魅力に触れる
展覧会前半では、装苑賞を受賞した記念すべき作品をはじめ、木綿の可能性を打ち出したことで知られる「日本のきれ」を使った初期の作品が登場します。それらに加え、「ニット」、「ツイード」、「バルーン」といった素材や技法、「アンチ・クチュール」、「ペザント・ルック」、「ミリタリー・ルック」といった、1970年代に髙田が発表したテーマに着目して紹介。一方後半では、「日本」、「ルーマニア」、「ロシア」、「アフリカ」など、髙田賢三の代名詞ともいわれる世界各国の民族衣装に着想を得た、1970年代から1980年代のフォークロア作品が一堂に展示されます。1980年代前後のこの時期の作品は「オールド・ケンゾー」と称され現在もコレクターやファンが多く、この時代からすでに多様性や包摂性を持ち合わせていた髙田の世界を余すことなく堪能することができるでしょう。また、KENZOブランドの集大成となった最後のショー「30ans(トランタン)」を映像フィルムでデジタル化。臨場感あふれる映像をダイジェストで楽しめます。

20年かけて蒐集したリボン製のマリエ
今回の展覧会の大きな見どころとなっているのが、1982年秋冬のショーに登場したマリエ(ウェディングドレス)。このドレスは髙田が20年間にわたって集めたリボンを使って製作した大作で、花の刺繍が施された華麗なリボンが贅沢に用いられています。リボンそのものの存在感とフォークロアなデザインは圧巻の美しさで、1999年の開催されたショー、「30ans(トランタン)」では日本の元祖スーパーモデルとして知られる伝説のモデル、山口小夜子が着用しました。本展ではドレスのみならず、制作の様子を収めた写真資料も合わせて公開されます。

長く「KENZO」を率いてきた髙田賢三。「木綿の詩人」や「色の魔術師」などとも称され、世界のトップデザイナーとして活躍し続けた彼の作品はどれも強烈なオリジナリティとインパクトを放ち、時代を経てもなお色褪せることはありません。これらの創作を時代ごとに紐解き、髙田賢三が創造した美の世界に触れることができるこの機会をお見逃しなく。
髙田賢三について
1939年、兵庫県姫路市に生まれる。
文化服装学院に入学し、1960年に若手デザイナーの登竜門である「装苑賞」を受賞。渡仏して5年後の1970年にパリで自らのブランドをローンチし、その自由かつ華やかなデザインで瞬く間に人気が広がり、世界を代表するトップデザイナーとなる。1999年に「KENZO」ブランドを引退した後も、企業とのコラボレーションやオペラ衣装の制作、新ブランドの立ち上げなど精力的に活動した。2016年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章。2020年に新型コロナウイルスの合併症により逝去。
TEXT:横田愛子
【INFORMATION】
髙田賢三 夢をかける
会場:東京オペラシティ アートギャラリー
会期:2024年7月6日(土)〜9月16日(月・祝)
時間:11:00〜19:00 ※最終入場は閉館18:30まで









