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ファッションデザイナーの異業種キャリア

シンプルでありながら普通とは一線を画す斬新なシルエット、見たこともないような革新的なデザイン…被服としてだけではなく魅力的な世界観を持つブランドの多くは、デザイナー自身も圧倒的なカリスマ性を持っています。ファッションデザイナーになるには、服飾系の学校に通い、先輩デザイナーの元で修業するなど経験を積んで自らのブランドを立ち上げることがほとんど。しかし中には全くの異業種からファッションデザイナーへの華麗なる転身を遂げる人がいるのをご存知でしょうか。ファッションとは全く関係のない業種でも、そこでの経験が結果的にファンを惹きつける魅力に繋がることも。元小学校教師や元プロボクサーなど、驚きの異業種キャリアを持つデザイナーを紹介します。

 

【目次】
クリスチャン・ディオール(画廊経営)
ヴィヴィアン・ウエストウッド(小学校教師)
川久保玲(旭化成社員)
柳川荒士(プロボクサー)

 

クリスチャン・ディオール(画廊経営)

ファッションデザイナーの多くは小さい頃からファッションに興味を持つ人が多い印象ですが、「Christian Dior」の創業者であるクリスチャン・ディオールはファッションよりも音楽やアートに深い興味を示していました。彼は一度作曲家を志したものの断念。その後23歳の若さで友人と共同で画廊をオープンすると、わずか2年でパウル・クレーやパブロ・ピカソなどの有名アーティストの作品を取り扱うまでに成長。しかし恐慌により顧客たちの脚が遠のくと、次第に彼自身のアートへの関心も薄れていきました。服飾デザイナーとして活躍する友人、ジャン・オゼンヌの家に身を寄せたクリスチャン・ディオールは、最悪の経済状況下でもデザイン画を好調に販売するジャン・オゼンヌの姿を見て、「絵を愛する者」と「絵を描く者」の間にある壁に気付きます。そこからデザイン画を描くために必要な遠近法やプロポーション画法を熱心に学ぶと、デザイン画が売れるようになり、40代前半でファッションデザイナーとしてのデビューを果たしました。アート出身の彼が生むデザインはまるで彫刻のように美しいシルエットだと賞賛されました。

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ヴィヴィアン・ウエストウッド(小学校教師)

クリスチャン・ディオールとは対照的に、織工の母と靴職人の家系に生まれた父を持ち、幼い頃からファッションに夢中だったヴィヴィアン・ウエストウッド。彼女が立ち上げた「Vivienne Westwood」と言えば伝説のパンクバンド「SEX PISTOLS」の衣装を手掛け、音楽とファッションを融合させた「パンクファッション」という新たなジャンルを築きあげたカリスマ的ブランドです。そんなアヴァンギャルドなブランドを手掛ける彼女、実は元小学校教師でした。当時、ヴィヴィアンの故郷では労働者階級の女性が就ける職業といえば看護婦か美容師、教師か秘書の4つくらいでした。彼女は最初、秘書になることを選びましたが、自分に向いていないことを悟ると小学校の美術教師として働くようになります。そんな彼女のファッションデザイナーへの一歩は、彼女自身が教壇に立つ際に着用する服を制作したことからスタートしました。スカート丈が短いことで叱責されることもあったそうです。パンクでアヴァンギャルドなVivienne Westwoodのデザイナーらしいエピソードですよね。

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川久保玲(旭化成社員)

それまでタブーとされていた「黒」を使ったコレクションをパリコレで披露し、「黒の衝撃」と呼ばれファッション業界に大きな影響を与えた「COMME des. GARCONS」。アーティスティックで革新的なデザインで多くのファンを魅了するブランドです。デザイナーの川久保玲は服飾系の学校には進まず、慶應義塾大学を卒業後、化学メーカーの旭化成の宣伝部に入社しました。広告撮影の仕事があった際、スタイリングに必要な服をどうしても既製品の中で見つけることができなかった彼女は、なんと思い描く服を自分で作ってしまったそうです。それ以来、服を作るようになった彼女は、スタイリングだけでなく自らデザインをし、パターンをひき、縫製をし、仕上げまで手掛けるようになりました。COMME des. GARCONSはしばしば「アート」と評されることがありますが、川久保玲は自分の服作りを決してアートと認めることはありません。自らの活動を「創造を通したビジネス」と称し、「デザイナーであることとビジネスウーマンであることは切っても切り離せないことだ」と語っています。彼女の服作りは商業的な成功を見据えたものであり、会社員を経験している彼女ならではの信念を感じるエピソードです。

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柳川荒士(プロボクサー)

強さとエレガントさを持ち合わせた男性像を基本コンセプトとするJOHN LAWRENCE SULLIVAN。2010年からはレディースラインも展開しており、メンズテーラードの技術を駆使したシャープなテイストが魅力のブランドです。パリメンズコレクションにも進出した世界的に有名なブランドですが、デザイナーの柳川荒士はなんとプロボクサーからデザイナーになったという驚きの経歴の持ち主なのです。かつてアトランタオリンピック代表に選ばれたこともあり、あの有名な具志堅用高に見込まれプロボクサーとしてデビュー。フライ級を中心に4年間リングに立ち、引退後はもともと興味のあった洋服販売の仕事につきました。憧れだったロンドンへ古着の買い付けに行くようになってから、自らジャケットのデザインを始め、JOHN LAWRENCE SULLIVANを立ち上げます。実はこのブランド名も、ボクシング初代ヘビー級チャンピオンの「ジョン・ローレンス・サリバン」からとった名前。展開している繊細でエレガンスなデザインと元プロボクサーというギャップに驚きますよね。

 

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