日本初となる写真と映像のアートフェア、ART PHOTO TOKYO –edition zero-が東京、日本橋で11月18日から3日間開催されました。世界トップクラスのギャラリーやアーティスト、フォトグラファー約60名が集結した本イベント。
期間中、写真家・蜷川実花さんと雑誌Numéro TOKYO編集長、田中杏子さんによるトークイベントも行われました。国内のみならず海外でも高い評価を受ける蜷川さんのクリエイションの原点、そして現在についてなどを、旧知の仲である田中さんが公開インタビューしました。
シャッターを押すだけで、精神状態まで映し出されるメディア
まずはNuméro TOKYOでの連載の話題から、撮影している際の心境についてトークがスタートしました。
田中杏子さん:「Numéro TOKYO」でも「裸のオトコ」という連載企画で撮影をしてもらっているけれど、そもそも男性を撮り始めたきっかけって?
蜷川実花さん:女の子のグラビアみたいに、いわゆる男の子を消費するように見る写真って、女の人だって見たいんじゃないの? という発想から始まったんですよね。だって私も見たいし、撮りたいしって思って。すごいシンプルな理由なんです。
田中さん:撮っているときはどんなことを考えているの?
蜷川さん:シーズンによるんですけど、若かりし頃っていうか、ギラギラしているときは、本当に女目線で撮るし、そうすると、向こうも何となく女性扱いしてくれるんだけど、今は息子が2人いるんですよね。息子が生まれてからというもの、若い男性が被写体だと、「可愛いなー、こんな風にうちの子育つのかしらね」とか、そんなことを考えている(笑)。でも圧倒的な包容力があるので、悪くはない写真だとは思うんですけど。特に今まだ産んで1年2か月なので、とても気持ち的にほっこりしています(笑)。
田中さん:なるほど。でもそうやって考えると、フォトグラファーという、写真を撮る側の精神状態とか今の自分の環境ってやっぱり写真に表れるってことだよね。
蜷川さん:全部出るね。でもプロだから、掲載して問題ないレベルにはどれも行くんですけど、そういうのが映り込むんですよ。本当におもしろくて。だから写真って、奥が深いなと思うんですけど。シャッターを押すだけじゃないですか。それが粘土とか例えば油絵とかだとその人の癖が映り込んだりするのはわかるけど。押すだけで、全てが出ちゃうっていう写真って恐ろしくもあるメディアですね。
死生観について考えさせられた出産という経験
蜷川さんのクリエイションにひとつの変化が訪れたきっかけとして、出産を経て感じた思いについても語ってくれました。
田中さん:以前原美術館でやっていた「蜷川実花:Self-image」って結構死生観を感じたの。死の匂いっていうか。
蜷川さん:あの時期っていうのは、産後なんですけど、子どもが生まれて、写真が優しくなったねとか言われるのが嫌だったの。顔がお母さんっぽくなったとか言われるのがすごく嫌で。
田中さん:せっかく赤い髪しているもんね!
蜷川さん:でもやっぱり、子どもが生まれるってさ、すごく嬉しいし、光り輝くけどさ、例えばそれと同じくらい闇も深いじゃない。自分のことができなくなっていく恐怖心だったり。すごく光が強い分、影も深くて。だからちょっと反抗的にもなっていたし、そんな簡単にやさしくなんてなれないからって。
田中さん:すごい!それこそアーティスト気質っていうか反骨精神だよね。そんな生半可な人生を送ってないよっていう実花ちゃんからのメッセージだったんだ。
蜷川さん:産む前よりも。よりとがった表現をと思っていたし、生命が生まれた喜びっていうよりは、人って生まれた瞬間から終わりに向かっていくわけだから、そういう方向にフォーカスしていったの。結果としては、産んだからこそできた作品群なんですけどね。
田中さん:でもすごくかっこいいよ。
蜷川さん:ママ友が見ているかもとか、余計なものを背負っちゃったなって思っていた時期なんですよ。映画「ヘルタースケルター」が公開された後、インスタグラムのフォロワーがすごく増えたり、ライトに私のこと好きでいてくれる人がたくさんいてくれると、嬉しいから守りたくなっちゃったんですね。でも今までだったらヌードなんかなんてことないって思って作品を発表していたよねって思って。ある種、こうありたいっていう、気持ちを込めて。発表したんだと思う。
自身のクリエイションの新境地を求めて
このように和やかなムードでトークイベントが進む中、蜷川さんの放ったある言葉がまた印象的でした。
「私の代表作を思い浮かべると。『ヘルタースケルター』とか『さくらん』『ヘビーローテーション』って、結構映像系が多いと思うんですよ。それはある意味すごく悔しい。私、写真家なのに、映像の方が先に進んじゃっている部分があるような気がして。やっぱりこれから何年かの間に、私といえば圧倒的にこれだってところに写真で辿り着かないといけないなっていう。自分の中で追いかけっこしているところがちょっとありますね」。
これだけ多くの作品を発表し続け、多くの人を魅了しているにも関わらず、さらに自身のクリエイションの新たな境地を切り開こうとする姿勢に感銘を受けました。
最後の質疑応答では、幼い頃から写真を撮ってきた蜷川さんに、写真が自分の表現だと認識したきっかけについての質問がありました。
「たぶん小学六年生で写真を撮った時から。なぜならば、クリエイター一家に育ったので、いち早く私も表現者になりたいっていう、もう焦りみたいなものが、その頃からはっきりあったのを覚えているんですよ。もう早く大人になりたくて、早く物を作りたくてって、本当にもう気持ち悪くなるくらい焦っていて。それが多分今の原動力にもなっていると思うんです」。
また、2020年開催を控えた東京オリンピックへの期待についての質問に対し、
田中さん:実花ちゃんは実行委員会として携わっているんだもんね。
蜷川さん:横の連携と縦の連携ができて、皆がワクワクしていて、普段会わない人とお会いする機会がすごく増えていて、それって面白いなって思っていて。オリンピックなんていうよりも、そういう事が起こるってことで、色んな動きが活発になった気がするんですよね。
田中さん:官と民っていうの。行政と一クリエイターも含めた一般の私たちの間がちょっと近くなったっていうのはすごく嬉しいと思います。さらに、もっともっと近づいて行って2020年は本当の日本国民全体で盛り上がることができるといいなって。
と、それぞれの見解を示しました。
会場には多くの人が詰めかけ、一流フォトグラファーが日常どのようにものごとを考え、どんな風に作品に取り組んでいるかをのか、生の声に聞き入っていました。
またART PHOTO TOKYO展には蜷川さん始め、宮本敬文さん、北島晃さん、若木信吾さん、Leslie Keeさん、米原康正さんらの作品が展示されたほか、編集長として「R Magazine」で美しいヴィジュアルを展開するローラさんも参加。
それぞれが放つ強いメッセージ性のある写真に触れることのできる場として多くの人を魅了していました。
(急逝された写真家、宮本敬文さんの作品から)
(米原康正さんの作品。
「lute」というインターネットチャンネルの中で好評を得ている米原監督の番組「runners pie」の素材をアートとして再構築する
”Discipline 02 for Runner’s Pie”)
(ローラさんのブース。「R Magazine」で表現してきた
お気に入りの作品を選りすぐったのだそう)
(大量の紙焼き写真を展示したTHE MISSING PHOTO)
(会場となったビルの前の交差点の向かいに映し出された
パネル)
写真やアートはファッションとのつながりも深く、切っても切れない関係。ファッションをより輝かせるコミュニケーションツールとしても、力強く、美しいヴィジュアルは、非常に重要ですよね。
数々の作品やトークイベントを通して、ファッションに携わる人たちにとって、写真やアートに触れる機会はとても大切だと改めて感じました。