先日NHK BSプレミアムで放映されていた、「SUN MOTOYAMA(サンモトヤマ)」茂登山会長出演の番組をご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。今日のラグジュアリーブランドストリート、並木通りを作ったといっても過言ではない茂登山会長。今回は、そんな茂登山会長の言葉に改めて感銘を受けたという、外資系ラグジュアリーブランドの人事部長などをご経験されてきた転職コンサルタント、Chikuma Human Resource.Instの竹間さんのコラムをお届けします。
今回お話を聞かせてくれた転職コンサルタント |
Chikuma Human Resource.Inst
代表取締役 竹間 克比佐さん |
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銀座の街作り自体に大きく貢献された「SUN MOTOYAMA(サンモトヤマ)」茂登山会長の奥深い言葉
先日、NHK BSプレミアムで放映されていた、シリーズ東京 第1回「街はこうして輝いた~銀座並木通り・茂登山長市郎~」で、「SUN MOTOYAMA(サンモトヤマ)」の会長、茂登山 長市郎氏のストーリーを拝見しました。自社ブティックの開店を通して、銀座の街作り自体に大きく貢献された茂登山会長の言葉は、1つ1つが本当に奥深いものでした。
東京オリンピックの年、まだ銀行などが並ぶ地味な通りだった銀座並木通りに一軒のブティック「サンモトヤマ」をオープン。そこには、まだ日本では目新しかった、ヨーロッパ各地からやってきたインポートブランドの商品が輝きを放っていました。ブティックを開いた茂登山 長市郎氏は「並木通りを、ヨーロッパのように一流の店が並ぶ通りにしたい!」という夢を持ち、それを実現していきました。
日本に於けるラグジュアリーブランドビジネスの先駆者
「サンモトヤマ」を通じ、グッチを筆頭に、エルメス、ロエベなど、世界に名だたるヨーロッパブランドを日本に初めて紹介し、定着させてきた茂登山会長。現在ではラグジュアリーブランドの旗艦店が軒を連ねる銀座の街ですが、会長が居なければこんなことはありえなかったかもしれません。日本に於けるラグジュアリーブランドビジネスの先駆者といえる存在なのではないのでしょうか。会長は今までの人生について「運と縁。運は天から授かる物、縁は自ら作る物。」と仰っていたのですが、私はこの言葉を耳にして、色々な事を思い起こしました。
私が最初に手にしたブランド商品は、大学1年生の時に入学祝いで貰ったグッチの定期入れ。親戚が仙台でグッチの専門店を営んでいたことから、グッチの商品には子供の頃から少しばかり親しみがありました。そして、昭和生まれの私の大学時代はまさに”ハマトラ”全盛期。イヴ・サンローランのウエッジソール、クレージュのお弁当型のバックなど、銀座のサンモトヤマや和光でショッピングをすることが女子のステイタスだったのです。そんな昭和の流行ファッションにはまっていた思い出が、脳裏を駆け巡りました。
今も昔も変わらない、販売職の重要性、そしてジャパン社の立ち位置
90歳を過ぎて今もなお、店頭に立ち続ける茂登山会長。会長のビジネスのスタンスは、現代のブランドビジネスに於いても重要視するべき販売職の在り方や、その後日本に続々と進出したラグジュアリーブランドのジャパン社(日本支社)の立ち位置にも通じるものがありました。
転職コンサルタントとして独立して以来、私はブランドビジネスに関わる数多くの方々とお話する機会を頂いてきました。そんな中、常々「本社勤務のスタッフも、店頭の販売職のスタッフが今、何に直面しているのかを知るべきではないか」と強く感じています。また、それを実現されているジャパン社は、好調な売上をキープしているように思います。
日本を代表するグローバル企業へと成長した、柳井会長率いる「ユニクロ」。
代表的なアイテムでもあるフリースを販売し始めて20年が経ったそうです。ネガティブなブランドイメージを持たれていた時代もありましたが、店頭の販売スタッフを大切にして、その根にある”販売員魂”を形にされたことが、今のグローバルビジネスの根幹をなしているのではないでしょうか。ラグジュアリーブランドビジネスにおいても、販売スタッフの重要さを今一度顧みて、私利私欲のない清らかな”職人技”を体現して下さるジャパン社が増えて下さることを切に望みます。
「日本人の心を大切にするべき。」
―番組を通じて、自分の仕事をも改めて見直すこととなり、非常に貴重な機会となりました。