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海外で活躍する日本人インタビュー【後編】|ファッションディレクター 竹中 祐司さん

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no.44のバイヤーを務めた後にVogueに入社、そして33歳で単身ニューヨークに渡り現在までファッションエディター、スタイリスト、ファッションディレクターとして幅広い活躍をしてきた竹中祐司さん。働くための新たなフィールドを自ら切り開き、枠にとらわれないキャリアはどのようにして築かれたのでしょう?竹中さんのキャリアストーリーからファッション業界で活躍するためのヒントを得たいと思います。

前編はこちら>>

世界のトップの人たちと仕事をするための心構えとは?

−世界のトップの人と一緒に仕事をする上で心がけていることはありますか?

やっぱりビビらないことです。どんなに相手が有名でも同じ土俵に立てば同じです。だから言いたいことは言わなければならないんです。僕はどんな人と仕事をしてもダメだったらダメと絶対に言います。トップの人たちは絶対に妥協しないですから。

これまで沢山のフォトグラファーの方と仕事をしましたが、トップの人たちは50〜60歳位の人が多いんです。そういう人たちが、こっちが仕事の後に「勉強になりました」と御礼すると「僕たちもまだ学んでいるところだから、こっちも勉強になったよ」と言ってくれたりする。そういうときは本当にやっててよかったと思いますね。

−11年、NYで仕事して今まで最も達成感のあった仕事を教えてください。

やっぱりアルバート ワトソンとの撮影です。彼の「UFO」という写真集があるんですけど、そのなかに僕の作品も載っています。偉大なフォトグラファーの歴史の一部になれたってことは嬉しいですよね。

−海外を拠点に働き、今どう感じていますか?

ニューヨークにいながらヨーロッパの仕事ができた経験から分かったことがあるんですけど、ローカルにいるよりも遠隔からそのマーケットを狙う方が、現在は仕事ができるんじゃないかっていうことです。僕はこれからまた日本に拠点を移すんですけど、結局、“そのためにやって来る”っていうことに価値があるんですよね。ロコ(ローカルの人)じゃない方が価値があると気づいてから、そういう働き方が可能だってことに気づきました。遠くで仕事をするためには相手へのケアも必要で、僕はどんなときでも一緒に仕事をする人には直接会いに行くようにしています。

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(NEWWORK MAGAZINE / ALBERT WATSON)

ものが売れない、高いものが売れない日本にいま足りないこと

−海外で日本のバイヤーを見ていて感じることはありますか?

やっぱり語学力は足りないと感じますね。ヨーロッパでもデザイナーから直に相談を受けることがありますが、やっぱり英語が話せる日本人のバイヤーが少ないのでデザイナーと直接コミュニケーションをとることが難しいんです。バイヤーがモノを買うときには、きちんとデザイナーの意図を吸収して、理解してからお店に伝えて、そしてお店がちゃんと理解しないと伝言ゲームじゃないですけど、伝わらないんです。
だからものが売れない、高いものが売れない現象が起きてしまうんだと思います。やっぱり高いものには理由があって、それがきちんと伝えられないと売れないんですよね。

−日本は肩書きにとらわれやすいですが、竹中さんのように自分の肩書きにとらわれずに仕事をするコツは?

肩書きは、結局は固定概念だと思います。ファッションエディターといっても日本のファッションエディターと海外のファッションエディターの仕事内容は全然違うし、結局は何がしたいかです。僕は我流で色々な仕事をやってきて、周りからみると全部バラバラなことに感じるかもしれませんが、実はビジュアルをつくるということから始まって、バイヤー、ファッションエディター、スタイリスト、ファッションディレクター、すべての仕事が繋がっているんです。

ものを“トランスレート”する役割として新たな拠点へ

−これからのファッション業界の竹中さんの役割とは?

“トランスレートすること”だと思います。言葉だけじゃなく、ものに対するトランスレートをするということ。あとは、ファッションをハブにして、ファッション以外のディレクションも増やしていきたいと考えています。これまではファッションブランドのエキシビジョンの見せ方やVMDも行ってきたので、今後はインテリアブランドなど別業界での仕事にもチャレンジしたいですね。

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−最後にファッション業界で働く人にメッセージをお願いします。

僕は33歳で渡米したんですけど、それが本当によかったと思っています。というのも、日本でのキャリアがあったからこそ、海外でキャリアを積むときに比較することができたんです。若い頃に海外に行って日本に戻ってくるのとはまた違う、自分のキャリアを持った上で行けば、その価値観に新しい価値を培うことができます。

日本に戻ってくるならまずは日本でキャリアを積んでから海外に行って、ちゃんとしたものを日本に持って帰ってきてほしいと思います。特に海外では自分の意見を求められるので、何も経験がないと信頼してもらうのも難しい。だから、33歳でも全然遅くないんです。今、チャレンジがしたいけど動けずにいる人は失敗しても良いのでとにかくやってみることが大切だと思います。

−ありがとうございました。

これから日本を拠点にさらに活躍の幅を広げられていく竹中さん。海外で培ったキャリアは、日本のマーケットでも重宝されるはずに違いありません。日本でのキャリアを積んだのち単身海外に渡った行動力とその人間力には、多くの方が勇気付けられるのではないでしょうか。肩書きにとらわれない竹中さんのこれからの活躍に今後も注目です。

Interview&Text:Mio Takahashi(Fashion HR)

YUJI TAKENAKA

1996年からセレクトショップのバイヤー/VMDを経験後、2001年コンデナスト・ジャパン(VOGUE編集部)入社。独立後フリーランスとして2005年からNYで活動する。2006年からRobert Gellerのクリエイティブディレクターとして、ショーのスタイリング、会場のデザインを担当。2007年にはNEWWORK MAGAZINEをファッションディレクターとして立ち上げる。現在はブランドのコンサルティングや個店のバイイングアドバイザー/コンサルティング、店舗ディレクションなども手がける。

 

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