アパレル・ファッション業界の求人・転職ならFashion HR

記事一覧

女性を素敵に彩り続けた原動力とは? ファッションデザイナー 稲葉賀惠が語る、服が好きな次世代へのメッセージ【前編】

1970年代に『BIGI(ビギ)』と『MOGA(モガ)』を、そして1981年には自身の名を冠した『yoshie inaba(ヨシエ イナバ)』を立ち上げ、50年以上もの間、着るもので女性を美しく輝かせてきたファッションデザイナーの稲葉賀惠さん。袖を通すと自然と背筋が伸び、働く女性をエレガントに見せながら自信を与えてくれる。稲葉賀惠さんが生み出してきた洋服は多くの女性に支持されてきました。

2024年8月にブランドの終了を発表し、ラストコレクションの終盤を迎えた今、ファッションを生み出す原動力となったものやデザインに込めた思い、そして、これからファッション業界で活躍したいと思う方々へのメッセージなどを伺いました。前編と後編にわたってお届けします。

―― 『BIGI』を創業された当時、どのような思いでファッションデザインに取り組まれていたのでしょうか。

「今のように物が豊富ではない時代でしたから、着たいと思うような服が売っていなかったのが自分で作るきっかけかしら。少女時代は、お人形のお洋服を遊びながら作っていたので、これが服を縫う原体験かもしれないですね。当時、普段着は近所の洋裁店で、よそゆきのお洋服は銀座のお店でオーダーしてもらっていたけれど、子供だから母が一緒に来るでしょう? すると肌を出すようなお洋服は着せてもらえなかった。腕を出すならボレロを羽織りなさい、とかね。既製服の時代になっても、売っているものはどこか気に入らない箇所があったりして、自分で縫っていました。しっかりとデザイナーとして仕事を意識し始めたのは『MOGA』を作った頃。私自身もひとりの働く女性として、こういうお洋服があるといいな、と思っていたことを反映しました。私は斬新すぎるものは苦手で普通のものが好き。そこに流行をちょっぴり取り入れて、ベーシックで他のブランドとも合わせられるもの。これがデザインの中心です。その後、より素材や品質にこだわり、飽きずに長く着られる服として『yoshie inaba』を始めたんです」

―― デザイナー業と並行しながら雑誌「ミセス(文化出版局)」で専属モデルもなさっていましたが、着る側の視点を経験したことは服づくりに影響を与えましたか。

「私がモデルをしていた頃は既製服はあまりなくて、誌上で着るお洋服は全部オーダーメイドでした。その当時“一流”と呼ばれる先生方の元へ行って仮縫いをしてもらうのですが、一流の仕事を間近で見られることはとても勉強になりました。その経験があるからこそ、カットや生地にこだわるようになりましたし、逆に反面教師にしなくてはと思うことも。「ミセス」という雑誌は、堅実な奥様に向けてファッションなどを提案する内容だったので、主婦の方が求めるものや好みなど、知らず知らずのうちにマーケティングにもなっていたのかもしれませんね。それに着物との出会いはこの雑誌があったから。誌上で着物を着させていただく機会をたくさん得て、着物の世界に魅せられました。着物ってね、同じものを10人に着せてもその人それぞれに違って見えるの。着る人の内面が出てくるんです。それを洋服にも取り入れたいと思いながらデザインをしてきました」

―― ミニマルで上質な素材でデザインすることが『yoshie inaba』の代名詞ですが、どの服もタイムレスな魅力があり、年齢を問わずに着られるデザインばかりです。年齢や時代を超え、着る人を美しく見せる服づくりの秘訣はなんでしょう。

「『yoshie inaba』としての考え方は、“服が目立つのではなく着る人が素敵に見える服”であることなの。上質でスタンダードなものであり、かつ便利に着回せるということに主眼を置いて作ってきました。だからこそ着る人の年齢を選ばず、流行に左右されにくいんじゃないかしら。特定の人たちだけではなく幅広い人に着てほしいからカットにこだわり、女性の体をなるべく美しく見せるように工夫してきました。色もベーシックカラーが中心なので、あまり年代に関係なく着ていただけるんじゃないかしら。お店にも母娘でいらしてくださるお客様が多く、お洋服をシェアしていると聞くととても嬉しいんです」

―― 『yoshie inaba』の服のほとんどは日本製です。国内生産だとコストも高くなりがちですが、ジャパンメイドにこだわって来られた理由とは。

「私のブランドは、着心地や仕立てに重きを置いたものづくりをモットーにしているので、必然的に大量生産・消費は難しい。国内外問わず、ジャパン社になる以前から、例えば『Loro Piana(ロロピアーナ)』『AGNONA(アニオナ)』『CERRUTI(セルッティ)』などのファクトリーや商社ブランドが、小ロットでも作り手の想いをくみ取り、生産をしてくれました。今は7~8割が日本製。国内生産の良いところは、自分の目の届く範囲で作れるところ。素材や品質を確認しながら安心してものづくりができたことは、ブランドのキーでもある“心地よさ”にも繋がっていたのではないかしら」

―― ファストファッションが浸透し、安価で洋服が買える時代。その中でこれからデザイナーを目指す人はどのように自分の個性を反映し、『yoshie inaba』のように長く愛されるブランドを作っていけば良いでしょうか。

「例えばユニクロのヒートテックは、素材から開発されていて素晴らしいと思います。ファストファッションで自分流に素敵に装うこともできるけれど、作り手としては、どんな作り方であれ着るものだから、着心地も頭に入れて作ってほしい。少なくとも人にお金を出して買ってもらう商品である以上、そこは大事にしなくっちゃ。そのうえで自分らしいかたちを追求するのが良いのではないかと思います」

―― 茶道から着物に民藝までさまざまな日本文化に親しまれておられますが、ファッション業界を目指す若い人たちが触れておくべき文化や伝統はありますか。

「今はグローバルな時代だから、社会や世界情勢なども含め、いろいろと知っておく方がいいと思うの。日本文化だけでなく、何にでも好奇心を持つこと。目新しいものにばかり目が向きがちだけれど、日本だけではなく、世界の歴史的なものや事柄にも興味を持っておけば、自分の引き出しが増えるんじゃないでしょうか」

―― ファッションデザイナーを志す人やファッション業界での仕事を志望する人が大切にすべき姿勢とはどのようなものでしょうか。

「買う人の立場を考えることです。デザイナーはアーティストではないから、そこを混同してはいけないの。デザイナーをアーティストだと間違えて捉える人が多いけれど、デザイナーというのは支持されて初めて自分の価値が上がるもの。デザインをするには多くの人に支持される必要があるし、支持されるためには着る側のことを考えてものを作ることが欠かせません。『COMME des GARCONS(コム デ ギャルソン)』も『Yohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)』も奇抜なデザインのものはあるけれど、着心地が良い。世間に名前が知られるデザイナーというのは、やはり着る人、お洋服を買ってくださる方のことを考えているのだと思います。販売スタッフについても、売れれば良いという考えではダメなの。嘘はつかず、正しくアドバイスができること。それに何より、この業界に携わるなら洋服が好きであることが一番大切ね」

ブランドをクローズするにあたり、「自分で、『yoshie inaba』の服をたくさん買ったの」と笑いながら教えてくれた稲葉さん。自分が着たい服を作ることから始まったファッションデザインの仕事は、ご自身が働く女性であったことから、デザインはもちろんのこと、動きやすさや快適さ、コーディネートのしやすさまで考え抜かれた名品ばかり。ベーシックでオーソドックス、けれど実際に着てみるとハッとする素敵さがある。その裏には素材やカッティング、縫製にまでこだわり抜いた職人気質な一面がありました。

また、民藝にも造詣が深い稲葉さんは、“用の美の大切さ”もお話ししてくださいました。「人が日常的に着用する“衣服”は、『静と動』を踏まえるからこそ実用性が欠かせない」という視点こそ、稲葉さんのファッションデザインの核なのかもしれません。続く後編では、50年以上第一線で走り続けてこられた原動力や、ファッション業界で転職を考える方へ向けたメッセージなどを伺います。


TEXT:橫田愛子

PHOTO:長谷川勝久

Fashion HRはファッション・アパレル業界に特化した求人情報サイトです!

FHR_top

ショップスタッフや店長などの販売職から、PR、MD、VMD、営業、総務/経理、秘書、ロジスティックスなどのバックオフィス職まで、外資系ラグジュアリーブランドから国内有名ブランドまで求人情報を多数掲載中。早速、会員登録をして求人をチェック!

   
無料会員登録する

記事一覧