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DCブランドの先駆け「MEN’S BIGI」とは?

1980年代の日本で社会的大ブームとなった「DCブランド」。国内の高級ファッションブランドの総称で、「ISSEI MIYAKE」、「COMME des GARCONS」、「Yohji Yamamoto」がDC御三家と呼ばれ、その他にも多くのデザイナーたちが少量生産の服作りを行い、次々と新しいブランドが登場した時代でもありました。1975年に設立された「MEN’S BIGI」はまさにそんなDCブランドの先駆けでありブームの立役者的ブランド。一時代を築き上げた「MEN’S BIGI」と、その創設者である3人についてご紹介します。

【目次】
「MEN’S BIGI」とは
「MEN’S BIGI」と菊池武夫の9年間
ビジネスの才に溢れた大楠祐二
稲葉賀惠の普遍的な服づくり

「MEN’S BIGI」とは

「MEN’S BIGI」は「TAKEO KIKUCHI」のデザイナーである菊池武夫とデザイナー稲葉賀惠、大楠裕二らによるメンズブランド。1970年に設立されたウィメンズブランド「BIGI」の人気に後押しされる形で設立され、当時のテレビドラマで主人公がアイテムを着用したことで爆発的なブームとなりました。トラッドでありながらモダンなブリティッシュスタイルと高品質な仕立ては、幅広い世代の男性を魅了しました。1970年代のファッション業界は主に海外に続く形で発展しており、国内ブランドもランウェイを歩くような個性的で派手なデザインのものが多く、おしゃれを楽しむ大人の男性というのはごく少数。そんな中、トラディッショナルの中に少しのスパイスを加えた「MEN’S BIGI」のアイテムは多くの一般男性の心を掴み、メンズファッションの躍進に大きく貢献することになったのです。

「MEN’S BIGI」は「TAKEO KIKUCHI」のデザイナーである菊池武夫とデザイナー稲葉賀惠、大楠裕二らによるメンズブランド。1970年に設立されたウィメンズブランド「BIGI」の人気に後押しされる形で設立され、当時のテレビドラマで主人公がアイテムを着用したことで爆発的なブームとなりました。トラッドでありながらモダンなブリティッシュスタイルと高品質な仕立ては、幅広い世代の男性を魅了しました。1970年代のファッション業界は主に海外に続く形で発展しており、国内ブランドもランウェイを歩くような個性的で派手なデザインのものが多く、おしゃれを楽しむ大人の男性というのはごく少数。そんな中、トラディッショナルの中に少しのスパイスを加えた「MEN’S BIGI」のアイテムは多くの一般男性の心を掴み、メンズファッションの躍進に大きく貢献することになったのです。


「MEN’S BIGI」と菊池武夫の9年間

「MEN’S BIGI」の創始者であり、「TAKEO KIKUCHI」の創始者かつ初代デザイナー・菊池武夫。1961年に飾を学ぶために「原のぶ子デザインアカデミー」に入学し、卒業後はルリ・落合のアトリエで働きながら映画衣装や資生堂のポスターやコスチューム・デザインの制作を担当。1963年にはデザイナー稲葉賀惠と結婚し、自宅にアトリエを構えました。1970年には当時の妻・稲葉賀惠と、友人である大楠祐二と共に「株式会社BIGI」を立ち上げます。ブランド「BIGI」では元々レディースを扱っていましたが、“女性に着てほしい服”という男のエゴが大きくなってしまったという理由から1975年に「株式会社MEN’S BIGI」を設立。メンズブランド「MEN’S BIGI」はDCブームの先駆け的存在となりました。1984年には次なるステップとして「株式会社ワールド」を選択。自身の名を冠した「TAKEO KIKUCHI」を立ち上げることとなったのです。「MEN’S BIGI」の頃から「対象年齢に合った人の発想」を大切にした服づくりを行っていた菊池武夫は、2004年には若い後進にクリエイティブディレクターのポストを譲りました。2012年には制作陣の平均年齢が若くなりすぎたことで菊池武夫の作風やスタイルなどのアイデンティティーが伝わっていないと感じたため、再びクリエイティブディレクターに復帰。消費者目線を重要視しながらも自分らしい服づくりに確固たる信念を持っていることが伺えるエピソードです。


ビジネスの才に溢れた大楠祐二

大楠祐二は菊池武夫の友人であり、ビジネスの才能に非常に長けた人物でもありました。その才能は日本大学芸術学部に在籍していた当時、同期であるあの篠山紀信に撮影のバイトを紹介し、斡旋料を受け取るというビジネスモデルを確立していたほど。そんな大楠祐二だったからこそ菊池武夫のデザイナーとしての可能性を見逃さなかったのかもしれません。「MEN’S BIGI」では菊池武夫がデザイナー、大楠祐二が社長兼営業と役割分担を徹底していましたが、ビジネスとして「MEN’S BIGI」を着実に大きくしてきた大楠祐二と、デザイナーとしてのクリエイションに重きを置きたい菊池武夫の間には次第に大きな溝ができていきます。大楠祐二は「MEN’S BIGI」のシェアを国内に限定していましたが、山本寛斎、コシノジュンコ、松田光弘とデザイナー集団「TD6」を旗揚げし、パリコレへの想いが強くなっていた菊池武夫は「株式会社ワールド」へ移籍。大楠祐二はまた同じようにデザイナーがいなくなっては困るということでカフェからホテル、印刷会社経営まで多角化していきました。「MEN’S BIGI」の人気はデザイナーである菊池武夫のセンスが大きく影響していましたが、ブランドそして企業として一時代を築くことができたのは大楠祐二のビジネスの才能があったからこそでしょう。


稲葉賀惠の普遍的な服づくり

稲葉賀惠は「原のぶ子デザインアカデミー」で服飾について学んだ後、デザイナーとして、そしてモデルとしても活躍しました。1970年に「株式会社BIGI」の立ち上げに参加し、1972年に機能的でありながら美しいベーシックなアイテムが魅力のレディースブランド「MOGA」を立ち上げました。1981年には素材からカッティング、縫製までこだわりぬいて丁寧に作られた高品質な「yoshie inaba」を設立。「yoshie inaba」はそのクオリティの高さ、スタンダードの中にトレンドを少しだけ加えた普遍的なデザインで人気に火が付き、当時の夫であり仕事仲間でもある菊池武夫や「COMME des GARCONS」の川久保玲、「Yohji Yamamoto」の山本耀司らと共に1980年代のDCブームを牽引しました。菊池武夫が「MEN’S BIGI」から独立したあとはチーフデザイナーとして大楠祐二と共にブランドの立て直しを進めました。80歳を超えた現在も「yoshie inaba」のクリエイティブディレクターを務め、若さではなく年齢を重ねたからこそ醸し出せる美しさを最大限表現する服づくりを行っています。トレンドではなく年輪のように人生を重ねていくことに美しさを見出している稲葉賀惠の感性があったからこそ、「MEN’S BIGI」が今も多くのファンを抱えながら続いているのかもしれません。

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