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サマンサタバサ プレス世永亜実さんが語る「仕事と子育ての両立」−ワーキング・ママインタビュー前編−

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自分らしいキャリアを築きながら、幸せな家族に囲まれて生活する。それは理想のように感じられますが、実現している女性たちは実際にいます。そんな彼女たちに、働く女性として、母親として、充実した毎日を過ごすためのヒントを聞く新連載「FashionHR ワーキングママインタビュー」がスタートします。

第一回目は「サマンサタバサ」プレスマーケティング部上席執行役員の世永亜実さん。プレス業務を担い、会社の成長に大きく貢献してこられました。

現在は2児のママとして、仕事と育児、家事をすべてこなすスーパーウーマンの世永さんに、ママとしての仕事の向き合い方についてお話を伺いました。

成長するブランドのプレスとして、走り続けた20代

−「サマンサタバサ」の初期メンバーとして、会社の成長期にプレス業務に従事し、30代で執行役員に就任された世永さんですが、20代の頃はどんな風に仕事と向き合ってきたのですか?

2002年に入社した当時、プレスは私1人だけでした。今振り返ると、とにかくがむしゃらで、楽しいかという感覚があるかどうかもわからずに、毎日100点以上のものを取りたくて、猛ダッシュしているのを後ろから止められるような状態でした。

帰りが遅くなることを注意されて、「なんでこんなに頑張っているのに、そんなことを言われるんだろう」って思ったこともあります。夜、会社のトイレに隠れて、皆がいなくなったのを見計らって、また仕事の続きをしていたこともあります。

20代は自分でも歯止めがきかないくらい働いていました。楽しかったかと聞かれると、よくわからないんですけれど(笑)。

−それほどまでに努力をされてきた原動力とは何でしょう?

24歳で現在の会社に転職したのですが、前の会社をきちんと辞めなかったので自分のなかにすごく後悔や、応援してくれた人への後ろめたさがあったんです。とにかくがむしゃらに働くしかありませんでした。

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入社当時は「サマンサ」がスタートして間もなかったので、次から次へと予想もしていないことが起きました。

例えばヒルトン姉妹を来日させなければならないということで、でもヒルトン姉妹も当時はまだ一般人同然でマネージャーがいるわけでもなく、自分たちでかたっぱしから電話して、交渉まで漕ぎ着けなければならない。

すべてがそういう感じだったので、何が正解で何が間違っているかなど判断しようもない状態でした。

−ヒルトン姉妹を起用したプロモーションによって、「サマンサ」は一躍メディアの注目の的となりました。海外のセレブと接する経験は、日本でプレス業務をやっていてもなかなかないと思いますが、そのときのことについてお聞かせください。

入社した日に、いきなり「ヒルトン姉妹という人と契約したから君が担当ね」って代表に言われて。来日を実現させたのは入社からたったの2ヶ月だったんです。私はヒルトン姉妹と同期入社という感覚なんですが(笑)、いろんな海外のセレブとやりとりすることで学んだことが非常にありました。

ただ、正直トラブルはこれまでほとんどないんです。その理由は、間に人を極力入れないという代表のポリシーにあると思っています。

もちろんプロの方たちのお力を借りることも多いのですが、この会社には愛を持っている人たちが愛を伝えるために、自分たちの言葉で伝えようという考えがすごくあるんです。直接やり取りするので、トラブルになってもすぐに解決できるし、いい関係が築けているんです。

仕事の原動力は、“この先にきっと何かがあるかも”という思い

−今まで誰も知らなかったブランドが、誰もが知っているブランドになっていったなかで、そこまで成長させるための組織作りも20代の頃にやっていたのですよね。

そうですね。組織作りというと、当時そこまでできていたかはわかりません。現在は、14年会社にいてその間役員になって8年くらい経つので、組織を作る、人材を教育するということがどういうことなのか、自分なりの考えはあります。当時は、仕事を回すためのチームを作るということが精一杯でした。

−それほど努力をずっと続けてこられると、息切れなどはありませんでしたか?

意外と精神力と体力はすごくあるほうなんです(笑)。

すごい大変だったんですけど、課長になり、部長になり、役員になり、いい待遇していただいて、頑張ればいい景色が見られることをたぶん自分なりに知っていて、この先にきっと何かがあるかもというのが原動力になっていたんだと思います。

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当時、ブランドの成長期で、雑誌に載ったものが飛ぶように売れるとはまさにこのこと、という感覚を味わいました。

今ってそういう現象があまりないと思いますが、ヒルトン姉妹がバッグを持ったことで、次の日に売り場に多くのお客様が来てくださるなど、中核にいて、そういうことを経験できたのは本当に宝です。

出産、育児から変化した仕事との向き合い方

−そして29歳でご長男を出産されました。仕事に対する考え方に変化はありましたか?

子供を産んでから、自分の時間が自由に使えなくなって、100点を取らないことの良さに気付いたんです。もともとオンとオフの切り替えが苦手で、20代の頃はその日あったメールとファックスを全部プリントアウトして自宅に持ち帰ってその日中にチェックしていました。色校正なども持ち帰るとベッドの横に置いて、急に気になって目が覚めて赤文字を見直したり、そういう生活でしたから。

−復帰はいつぐらいだったのですか?

産休に入ってすぐに代表から電話がかかってきて、実は社内保育所を5年前から考えてきたという話をされたんです。会社にいる人が若いから、使う人がいなくて計画倒れになっていたそうなんです。

実は私の産休中は、まだスタッフの人数が少なかったので、毎日会社の子が自宅に来ていたんです。授乳しながら広告のチェックをしていたり(笑)。

いつでも復帰できる保育所があったので、ちょっと行ってみようかなと思ったのが4ヶ月目くらいです。

たまたま私が復帰しようとしたときに、東京都から事業所内保育施設支援事業の第1号を会社がいただいたんです。なので、東京都庁で記者発表することになって、それが第一弾の仕事でした。4ヶ月で復帰して徐々に、ペースを上げて6ヶ月ではフル復帰しました。

サマンサタバサ 事業所内保育所「Tavasa Room」 サマンサタバサ 事業所内保育所「Thavasa Room」

−子育てと仕事を両立させるために今までたくさんあったと思うのですが、バランスよく両立するポイントとは?

一番大事なのは、土台づくりだと思っています。子どもを産むということは、会社から頼まれたわけではなく、自分が選択していることなので、その権利を会社に主張するのは、私は違うと思うんです。

それは私が従業員であり、役員であるからいろんな角度から見ているというのもあるんですが、子どもを産むことで時間に制限ができたとしても、会社に対しても周りのスタッフに対してもこれまでと同じようなパフォーマンスや、同じメッセージを発信し続けられる土台を作った上でないと、周りも協力してくれないと思うんです。

 

従業員の立場、役員としての立場から、子育てをしながら仕事をするための強い信念をお持ちの世永さん。後半では、離職を考えたこと、そして現在の仕事に対する姿勢などをお聞きします。
(後半に続く)

 

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